最近見なくなったもの

店主後藤が初めてバリ島へ行ったのは、1994年のこと。
バリ島へ行かれた事のある皆様同様、店主も初めてのバリ島は、いろんな事に対してカルチャーショックを受けていたと思います。

けれども最近、そんな過去のカルチャーショックな出来事を見かけなくなってしまったという事があります。
今回は少しだけですが思いついただけ、買いてみたいと思います。

まずは何といっても、GAのスチュワーデスさんですね!!!
初めてのバリ島、初めて出会うインドネシア人は、やっぱりスチュワーデスさんです。(最近はCAと呼びますが…)
何に驚いたかというと、髪型なのです。アップにして、後ろにお団子を作っているわけですが、そのお団子の大きさがハンパじゃなく大きいのです。ダチョウの卵(ってどれくらいの大きさだ!?)くらいはあると思うのです。
(後にそれは、付髪も混ぜているという風に聞かされましたが)
バリ島へ到着してみると、クバヤ姿の女性にもカルチャーショックを受けましたが、その女性たちがまた、巨大なお団子頭をしていて驚いたものです。
けれども… 最近そういうトラディッショナルな髪型をしている女性ってあんまり見ませんよね。昔はスチュワーデスさんもといCAの方々もそういう髪型をしていたわけです。

それから次に驚いたのは、ちっちゃな大人の女性です。身長が150センチも無いような女性が目立ったような気がするのです…けれども、最近の若い女性はみんな身長も高いしガリガリに痩せている人も少なくて、この10年くらいで栄養状態が良くなったのかな~?と思ってしまいます。
ごくたまに、市場などへ行くと、すっごく小さなお婆ちゃんなんてみかけるのですが、小さな若い女性はあまり見なくなってしまいました。

その次に驚いた事は、まだコンクリートも美しかった当時の空港から外に出た道路にある中央分離帯、そこに木が生えているわけですが、木陰で男性が集まってのんびりしていました。
今でも普通にいる、新聞売りの様子とは明らかに違い、腰にバティックだけ巻いてくつろいでいるおじさんたちが集まっていました。
そういう、いかにも南国の人っぽい雰囲気も最近あまり見なくなったような気がします。

それから、ワルンのTVに集まる人たち。ああ~家にTVが無いんだな~と思っていましたが、もう今や一家に一台TVが当たり前のバリ島になってしまいました。
それどころか、最近は、心なしかエンストして止まっている自動車や単車も、昔みたいに見なくなりました。(たまにトラックが横転したりパンク修理してたりは見ますけどね)

食べ物で言えば、どこのレストランも甘ければいいという感じに作ったケーキの中でも、ここならまだ食べられる…という店で、クリームやチョコレートの甘味を求めて出かけて行ったものですが、もう最近では日本で食べるのと変わらないスイーツが、あっちにもこっちにもあります。
ハンパじゃない甘さに愕然とした事も、当時のカルチャーショックの1つだったと思うのです。

10年一昔とは言いますが、のんびりしているようなインドネシアは、日本とは比べ物にならないくらいの早いスピードで、いろいろな事が変化していると、店主は思います。

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ウブドの通りの名前

バリ島の道には、大抵名前があります。どこか、他の島の町の名前だったり、神様の名前だったり、動物の名前だったり、人の名前だったり、いろいろな名前が、小さな通りであっても、名付けられています。
ちょっと京都みたいな感じがしませんか?

私がよく滞在しているウブドにも、色々な名前の通りがあり、私も主な通りの名前しか知りませんが、ちょっとした雑学? を皆様に伝授したいと思います。

ウブドを南北に、ハヌマン通りという通りがあります。
ハヌマンとは猿の神様の名前ですが、実はそのすぐ近所に、ハヌマンのお祖父さんの名前の付いた通りがあります。
それが、ゴータマ通りです。最近、ちょっとしたカフェなどが増えて、日本人の通りも多くなってきた通りなのでご存知の方もいるかと思います。
ゴータマは、ハヌマンのおじいちゃんなので、ゴータマじいちゃんも猿なのか? いえゴータマおじいちゃんは、日本で言えば仙人みたいな方という表現が近いのかもしれません。
では、ハヌマンのお婆ちゃんはというと、天女みたいな方という表現が近いのかもしれません。

そして、ハヌマンの叔父さんが、スバリ・スグリワです。
郵便局の1個西側に、スグリワ通りという通りがありますね。
近い位置に、ハヌマンの親戚の名前が集まっていて、ちょっとユニークだと思いました。

さて、この通りの名前、ゴータマ、ハヌマン、スグリワ、この3代に渡る親戚には次のようなラーマヤナ物語があります。

ゴータマの妻は、とても美しくて優しい奥さんでした。
しかし、この妻には、こんな過去がありました。
ゴータマと結婚する前、彼女は、太陽神スーリャと恋人同士でした。
しかし、彼女がゴータマと結婚するという事は神様によって決められた事なので、彼女は泣く泣くスーリャと別れてゴータマと結婚したのです。

ゴータマとの間には3人の子宝に恵まれました。
一番上がお姉ちゃん、その下二人が男の子です。
お母さんは、スーリャと別れる時に、スーリャから見たいものが何でも見れるという鏡をもらいました。寂しくなったらその鏡でスーリャに出会う事も出来たわけですが、お母さんは、結婚する時は悲しかったけれど、夫と子供を愛し良いお母さんになって、スーリャの事は過去の思い出となりました。けれどももらった鏡を捨てきれずに、成長してきた娘にこっそりプレゼントしたのです。

お姉ちゃんは、下の弟たちに鏡を見付からないように持っていたのですが、見られてしまい、弟たちはお姉ちゃんだけ鏡をもらった事を不平に思い、父親のゴータマに自分たちも魔法の鏡が欲しいと訴えるのです。そこで、スーリャからもらった鏡を妻が娘に与えたという事が、夫のゴータマに見付かってしまい、ゴータマは妻に問い質したのです。
妻は決して今でもスーリャの事を思っていたわけでは無いので、夫に誤解されたと思い思わず涙を流してしまいます。ゴータマはゴータマで、妻の涙にムカついてしまい、つい出来心で妻に魔術をかけてしまいました。妻は石になってしまったのです。

子供たちは、石になってしまった母を前に号泣して父のゴータマに嘆願して、元に戻すように頼むのですが、ゴータマでさえ、その魔術を解くことは出来ないのでした。ゴータマも後悔していました。そして事の原因となった鏡を ゴータマは投げ捨てます。鏡は湖に落ちてしまいました。

3人の子供たちは、父親に内緒で、鏡を探す事にしました。
まだお母さんが恋しい子供たちは、魔法の鏡なら、せめて鏡を通して、お母さんに会えると思ったのです。そこで、弟たち、スバリとスグリワは湖に飛び込みます。
お姉ちゃんは、湖畔で湖の水をすくって顔を洗って弟たちを待っていました。

二人の弟たち、スバリとスグリワは、鏡によって湖全体に魔力がかかった水に潜ってしまった為、猿の姿となって湖からあがってきます。その水で顔を洗ったお姉ちゃんは、顔と手首から先だけ猿になっていました。再び、この3人の姉弟に悲劇が襲いました。
何故こんな事になったのかを 3人の子供たちは泣く泣くお父さんのゴータマに相談して、神様からの試練を受け入れる事にしました。3人とも過酷な修行を神様から申し付けられるのです。

修行に耐えていたお姉ちゃんは、そのうち風の神様と結婚し男の子を出産しました。
この子供がハヌマンです。お姉ちゃんは出産と同時に魔術が解け、猿の顔から元の美しい人間の顔に戻りました。

ハヌマンは生まれる前から、猿の大将となる事が決まっていました。
そしてそのハヌマンを補佐するのが、叔父のスバリとスグリワという運命だったのです。
ラーマヤナ物語は、こうして続いて行きます。

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乞食にお金を与えるか?

バリ島の乞食(ミンタウアン)に出会ったことがあるでしょうか?
観光名所とか、大きな市場の近くや、街中で赤ちゃんを抱っこしたみすぼらしい身なりの女性など、私は一通り出会っていると思います。

隣のジャワ島へ行くと、ミンタウアンの数や種類は、悲惨度で表せばバリ島以上と思います。
バリ島はまだまだ豊かな土地ではないかと私は思います。

勿論、私も、そんな乞食に小銭を与えたこともあるし、与えなかったこともあります。

乞食にお金を与えるべきか否かという議論はとってもナンセンスだと店主は考えています。
大切な事は、どうして与えないか、どうして与えるのか、ちゃんと自分で答えを持っておく事なのではないかと思います。

そして、自分の考え方と、他の人の考え方が違うからと、それを否定する事もナンセンスだと店主は思っています。
そういうのは、人の考え方、それぞれだと思うのです。

ただ、汚かったから、怖かったから与えなかった、という事だと、良心的な人であれば、絶対にその思い出はなかなか忘れられない記憶になると思います。

けれども、自分の考え方がどうであっても、例えば、いつもならちゃんと小銭があれば与えるのに、あまりにも乞食の数が多すぎて、一人に与えれば、全てが集まってくるというような状況だってあります。身を守る為に、与えられなかったという事もあるでしょう。そういう事は単に、仕方が無かったという事です。

インドネシア人の中流家庭以下くらいの人々となると、実はそういう人にちゃんと小銭を与えている人が大半ではないかと思います。
小さな頃から、助けられ、助けて生活している人々(相互扶助)には、例え相手が、本当にお金に困って乞食をしているかどうか疑わしいなど関係無いのです。
多分、信心深いバリ人とかだったら、タイで托鉢のお坊さんに、食べ物を与えるのに近いくらいの気持ちがあるのかもしれません。

私の運転手さんも、パーキングの近くに、ミンタウアンがいると、後々になって、「お金あげた?」なんて、たまに聞いてくる事があります。
「あげたよ」と答えれば、満面の笑みで、「それは良かった」と返事をします。
でも、露骨に「あげなかったよ」と答えると、後々私のインドネシア語では説明が難しいような質問が飛んでくるのが目に見えてるから、あげてなくても「あげたよ」と答えたり、「出会わなかったヨ」と答えたりしています。

店主の知人の中に、自分がお金が無いのに、与えるという人がいます。
それは、インドネシア人もいますし、日本人もいます。
そういう人を偉いと思うかどうか? それも人それぞれの考え方次第ではないかと思います。
借金が沢山あるのに、人に慈善するという事を 偉いと思うか、
借金しているという事自体誰かに迷惑をかけているというのに、そのお金を、そういう事に使うという事は、お金をその人に貸している人の気持ちを逆撫で(そんなお金があったら返済すべきだという)しないだろうか?と思うか
本当にそういう事も、個々の人々それそれの考え方で解釈すべきであって、自分の気持ちを押し付けるような事ではないと思う。

店主は、以前、市場で子供の乞食に出会った。
その時は、本当の本当に小銭が無かったので、スーパーマーケットのつり銭として受け取った、キャンディーを差し出すと、それはいらないと拒否された。(笑)

店主は、何度もインドネシアに行かなければならないので、どうするかを自分で決めているのです。
できるだけ、子供の乞食には、お金を与えない。
理由は、新聞を売ったりして働いている子供がいるからです。ちゃんと働いているその子からは新聞を買わず、働いていない乞食の子供にお金を与える事には筋が通らないと思っているのです。

ジャワ島へ行けば、手足が無い人やらい病で身体が膨れ上がった人などの乞食がいます。そういう人は働きようが無いので、状況に応じて、小銭があれば、あげます。
ジョグジャカルタの、ムティアラホテルの前で、アンクルンを奏でている盲目の名物おじさんには、できるだけ滞在中に1回は、小銭を落すようにしています。

親切な日本人も、心の大きなバリ人も、その小銭でその人がヘピ(ハッピー)になったら良い事じゃないかと言います。

例えば ポケットの中に、100ルピアコインが1枚あったなら、それは日本円で1枚ほんの2円にも満たない額です。
100ルピアコインを100人の乞食に与えたとしても、日本円で130円程度です。
それを与えないという事はとっても冷たい事かもしれません。
でも、私は、ケチで与えなかったりしているのではなく、そういう事で生活をして行くことを止めてもらいたいのです。

大通りで危険を顧みず新聞を売っている子供も、危険なゴミ置き場で、ビニールを集めている子供もいるわけです。
きっと、危険と隣り合わせで、大した収入にもならず、大変な仕事をしていると思いますが、私は、そういう人たちが底辺にいるインドネシアが、より良い国にして行くと思うのです。

飴玉をいらないと道端に捨てた乞食の子供に対して、店主は思いました。
一生乞食をやってろと。

本当に、こういうのは、個々の考えです。
さて、皆さんはどうしますか?

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洗脳教育は良く無い

最近、テポドンが日本海に飛んできて騒ぎになっている日本ではありますが、北朝鮮は勿論の事、中国、韓国と反日教育というものが、どういう影響を及ぼすのかという事は、単にアジアが好きなお客様にも、何となく理解出来るのではないかと思います。

常日頃、バリ島に関わる私が、たまに思う事は、それに近い事がバリ島にもあるという事です。

バリ人がジャワ人の悪口を言い、ジャワ人はバリ人の悪口を言う。
そういう慣わしは、2~3回ほど、バリ島へ通い、何となく何度となく、おしゃべりの友となったインドネシア人から聞く機会も多いのではないかと思います。

バリで悪事を行うのはジャワ人の仕業。
特に、ジャワ人とほとんど関わる事の無いようなバリの片田舎では、バリの人々はそういう風に言い聞かされて育っているのです。それは、某国の反日教育と等しいものと思います。

私自身は、田舎というものが、どういうものかという事を日本で多少ながら実感しています。
夫の実家というものは、日本の本当にウブドの片田舎に近いような感じの所であって、バリにはかなわないとしても、スバック(水利組合)やら、バンジャール(隣保班)というものが、まだまだ生きている土地なのです。
よそ者が入ってくればすぐにわかりますし、近所の人がちょっと変わった事をすれば、例えば、新しい冷蔵庫を買ったとか、そいういう事であっても噂になるようなところなのです。

バリ島の田舎も、それ以上ではないかと思います。
よそ者が来ればすぐにわかるという土地なのです。

という事は、自分の土地感のある地域では悪い事も出来ない。
(実際には、やはり強いものが強い国なので、悪い事も金次第という場面もあるのでしょうが)
だからこそ、その部落にたまたま入って発見されなかった泥棒というものは、大抵ジャワ人の仕業にされてしまうという事もあるでしょうし、実際にジャワ人という事もあるでしょう。
バリ人という事無きにしも非ずなのですが、仮に泥棒がバリ人だと、狭い情報網の界隈なので、どこの村のどういう奴がやったと孫の代まで言い伝えられるので、とても近所の村で悪事を働く事も出来ません。

たま~に起こる、ホテルなどでの盗難事件というものも、実際は、後々に誰がやったという事がわかってしまうので、スタッフがちょっとそういう気出来心になってしまって、何かお客様のものなど取ろうものなら、その時はどうって事はなくても、後々にその仕事を辞めざるを得ない状況にはなります。それが、田舎、ウブドという土地柄のようです。

前置きは長くなりましたが、悪事を働くものは、バリでは必ず大抵、よそ者なのです。
バリの特に田舎ともなれば、子供の頃から、泥棒はジャワ人という風に言われて育った人が沢山いるのです。勿論、中には、成長して、都会で働くようになり、ジャワ人の同僚と一緒に働いたり、関わったりして、全てがそうじゃないと理解する者もいるのですが、そうじゃない人もいます。

私の知る限りでは、絶対にジャワ人と関わらないというバリ人だっています。
用事でたまたま訪れたジャワ人宅には、一歩も入らず、誘われても、もてなされても、絶対に、断るというバリ人もいます。
ともかく、ジャワ人=ジャハット(邪悪) そう思い込まされて育っているバリ人がいるわけです。

私は日本人なので、適度に良いお客さんとして、バリ人に接してもらう事も出来ますが、ジャワ人の場合は、そうじゃない場合がある。
けれども、どうして、ただ、旅行に訪れただけのジャワ人が、そいういうバリ人の感覚まで理解出来るものでしょうか? そしてまた、私がそれをジャワ人に話して説明したとしても、それを理解出来るジャワ人がいくらもいるでしょうか?

そういう事に追い討ちをかけるかのように、バリ島では、ジャワ人によるテロが2回も起こりました。

多民族他宗教国家のインドネシアという国が、きちんと統一するには、まだまだ長い時間がかかりそうに思います。

けれども、今の世代の子供達は、日本の田舎の子供が純粋に都会に憧れるのと同じような気持ちがあります。それはTVを通して、インターネットを通して。

バリ島も充分情報化社会になってきました。次世代のインドネシアの子供達が、民族も宗教も越えて、統一出来る日も、いつか来るのではないかと思っていますが、今この状況をジャワ人に伝えることはとても難しいのです。

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甘いインドネシア人と嘘つきバリ人

これがインドネシアの文化なのだから
インドネシアでは、バリ島ではこうだから
郷に入れば郷に従え

もう10年以上バリとかインドネシアに少しばかり関わって、何度も行き来して、まだまだ現地に住んでいる人には及ばない後藤ですが、「郷に入れば郷に従え」という部分は、それなりにわきまえているつもりです。
例えば、現地での礼儀作法とかタブーとか、こういう場合はこういう風に受け応えた方がいいとか、こうした方がいいとか、少しは理解してきたつもりです。
ただ、後藤は、インドネシアにカブれているだけのインドネシアヲタクではなく、自分が日本人で、自分の宗教が神道と仏教である事に誇りを持って生きている人間です。その立場から、インドネシアという特色の国と親しくさせて頂いているという関係なだけなので、何もかもインドネシア流にという考え方は、全くありません。

日本とインドネシアを比較してインドネシアの良い部分はとても評価するし、日本の良い部分だって評価しますが、悪い部分はハッキリ「悪い」と表現したいと思っています。

けれども、そういう良く無い部分のストレートな指摘というものは、インドネシア流には不可なんですよね。そういう指摘をする事は相手に対して失礼だし、指摘をされた側は、非常に不愉快な思いをする、場合によってはトラブルにまで発展しかねないというのが、インドネシア流なのですが…、事の内容にもよりますけど、私はインドネシアのこういうダークな部分がとても嫌いです。メチャメチャ嫌いです。

そりゃ他人の短所を指摘するという事はあまり誉められた事ではありませんけど、それをタブーにしてしまうと、人間向上しません。
別に他人が向上しようとしまいと関係の無い事ですが、それが団体ともなると話は違ってくると思います。例えば「会社」という単位で、社員の仕事の良く無い部分をインドネシア流に、まあまあここは南国のインドネシア、これくらい気にしない気にしないとやっていたらどうなるでしょう? 会社全体がルーズになります。インドネシアという国内全体の会社がそうであれば、それで均等も取れるかもしれませんが、他国の企業と張り合おうと思ったら絶対無理ですね。
そして、この、まあまあ これくらい気にしないという者が集まって、国を形成してしまえば、もう国家自体がルーズな国になってしまいます。
勿論、時と場合によっては、日本のように、そんな固い事を言わず、これくらい気にしないで突き進んだ方がいいという事もあると思いますが、全てがそうだと、大変なことになると思いますし、実際に大変な国になっているように思えるのです。

これもまた、他国のことだから、どうだっていいじゃんって思いますよね。
自分はバリ島で、快適なホテルに泊まって、安い価格であれこれ楽しめればそれでいい。
本当はそうなのですが、この国とプチ貿易をしている後藤は、本当にこの国と一緒に仕事をしているという事を後悔しない事は無いくらいです。これも笑って終わらせたいのだけれど、何かあれば痛手を受けるのは後藤自身なので、笑って終わらせたくても終わらせられない立場にあります。

そんな私の仕事上の悩みの種は、「嘘つき」 についていです。

嘘は、良い嘘と悪い嘘があると思います。

悪い嘘は、相手を騙して、自分の利益を守る為のうそです。
良い嘘は、 この場では嘘をついておいた方が、相手の為になるという嘘も良いかと思います。こんな事は相手が知らない方が幸せだとか、ここでは場を穏便にする為に、嘘をついておこうという場合があります。
この良い嘘?にあたると思われる、場を穏便にしようという嘘が、特にバリでは、嘘というよりも、それが「礼儀」に近いという事が、実は私は一番許せません。
例えば、自分が注文して食べているナシゴレンの上を、先ほど厨房では、ゴキブリが通過したのだけど、それを見た人が私に一切言わないという事は、私さえ全くわからなければ、良い嘘の類になると思います。(勿論、知らせてくれた方が、私自身は嬉しいですよ。でも、後々面倒な事になりますよね。)
でも、バリの人は、その嘘を 明らかに嘘とわかるとか、嘘と疑われる理由をつけて嘘をつくわけです。何故なら、その場では、嘘を言っておく事が「礼儀」に近いからですね。
しかし、私にしてみれば、本当の事を言ってくれた方が、「ああ、なんだそんな事」って思えるわけなのですが、嘘をつかれると後々非常に気分が悪い。
正直に言う方が良いと思っていない、正直に言うのが怖いと思っている。
日本で生まれて育った私には、そういう部分は、いくら郷に入ればと言われても、絶対に理解出来ない。
外国人に対しては、明らかにわかる嘘(親戚や家族が死んだ)はつかない方がいいとバリ人に諭しても、それを自分の仕事に役立てようと思うバリ人なんて、10人中1人も2人もいないんじゃないかって思う。
じゃあもう本当に仕方が無い、それがバリ島の人たちの「礼儀」なのだったら。と諦めたとしても、あれも嘘、これも嘘、じゃあ、私はあなたの何を信じたらいいのか? その部分は本当に最後まで見えない。つまり、バリ人たちはそれでいいのかもしれないけど、よその人たちからは、それでは信頼されない。信頼されないという事は何を意味するのかというと、次が無いということです。

お客さんから、次はもう頼まないって思われたらどうするの? 仕事が減るよ? 仕事が来ないよ?
そう私がバリ人に諭したとしても、深刻に考えない。新しい客が来るから大丈夫、どうにかなる。それくらいしか知恵が働かない。今この瞬間に1万ルピアでも収入があれば、先の事なんてどうでもいいのだろうか?

そんなバリ人が私に言う。
「ユウコ ミンタ カシ ブクルジャ( ゆうこ 仕事をちょうだい )」
そして、そんなバリ人はこうも言う。
「タム ティダアタ カレナ アダ バニャ マサラ ディ バリ、タム ティダ ダタン」
(お客さんがいない 何故なら バリには沢山の問題があるから)

インドネシア人って、私にとってとても甘い。周囲の人々を甘やかす事で、自分も甘やかされて生活している。
自分の信頼を築くことをしないで、信頼を築くという考えを持たないで、簡単に人に頼る言葉を口にする。
それが、例えば日本人にとって、どういう風に感じ取られているのかという事を、どうして理解しないのだろう?
自分が恥をかく事を嫌う人々。恥という事の屈辱を知っているなら、信用されない恥という屈辱を知ってもらいたい。
でも、それがインドネシアなのだからと言われてしまえば、それで終わりかもしれない。
勿論、そうじゃない人もいるのだけれど…

何だ、こんなすばらしい国に住んでいて、せっかく明るい性格を神様に頂いて、人々にそれなりに愛されているインドネシア人なのに、それで終わっていいの?そこまでの人間でいいの?
そう思う時、本当に切ない気持ちになると同時に、自分の仕事の不安を感じる後藤なのです。

1週間バリ

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階級社会のインドネシアは難しい

今や日本も、負け組勝ち組みなんて言葉がある世の中なのだけれど、勝った負けたは大雑把に言えば、金を持っているか持っていないかという事で、日本の社会にステータスというものがはっきり確立する程までにはまだ至っていないと思う。
とりあえず、今の日本、いろいろ文句言わずになりふり構わず仕事さえすれば、ごく普通の生活を望む事は可能な社会だと思う。簡単に言えば、まだまだ平等のチャンスはあるし、リストラされて無職のお父さんの息子も社長の息子も対等に友達になる事だって出来る日本。

日本とインドネシアの違いは沢山あるけれど、明らかに違う事の1つに「階級社会」というものがあります。階級社会にピンと来ない方も多いかもしれないので、どうわかりやすく説明していいのかわかりませんが、特に戦前以前の日本ではまだ「階級」というものが残っていたと思います。もっと酷くわかりやすく言えば、誰が強くて誰が弱いか、誰が上で誰が下かという事がはっきりしていたという事です。
例えばその昔、地主さんといえば、沢山の小作人など抱えていて、地主さんの下で働く人は、地主さんの事を「旦那様」と呼んでいたのではないかと思います。旦那様に逆らえば生きて行く事も難しいというくらい、上下関係がハッキリしていたのではないかと思います。

階級という事に関しては日本人は無頓着で疎いので、インドネシアの社会に入り込んで戸惑ってしまう、よく理解出来ないことの1つではないかと思うのです。

例えば私がインドネシアで、ドライバーさんを滞在期間雇えば、私が上でドライバーが下という極端ですが、ハッキリした上下関係を自分で理解する事は難しくありません。
しかし、私のドライバーさんと、たまたま道で出会った自分のインドネシア人の友人にも、初対面であれ、日本人には見えない上下関係というものがあります。
もしも、私のドライバーさんのステータスが非常に高い人であれば、仕事内容は別としても、その、たまたま道端で出会った自分のインドネシアの友人は、ややかしこまった挨拶をするかもしれませんが、私のドライバーさんが、ステータスも低く、貧乏で、学校にも出ていないような人であれば、たまたま道端で出会った自分のインドネシア人の友人は、私のドライバーに対して、簡単な挨拶くらいしかしないかもしれません。友人のステータスの方が遥かに高ければ、ドライバーなど無視して、私との再会の話を続けると思うのです。

そしてまた難しい事は、では、久しぶりの再会だから、一緒に食事に行きましょうという話になった時です。私と、ドライバーさんと、私のインドネシア人の友達との3人での食事が成り立つかどうかという事です。
・ステータスの高い者が、あまりステータスに拘らず気さくな人間である。
・ステータスの低い者が、遠慮しないで付き合ってくれる。
・どちらのステータスも同じくらいである。
と、こんな条件のいくつかが噛みあわないと3人で食事をするという事は難しいのです。

日本のように、友達を紹介して、果たして新しく出会った2人が対等会話出来るかどうか?私のように、階級に疎い日本人には予測も出来ないのです。

もしも階級が上中下と3段階あったとして、その上中下の各人がたまたま友人であったとしても、上の友達は下の友達の友達にまでは仲良く出来ないかもしれないし、下の友達は上の友達の友達には気を使ってしまうだろうし、中の友達はそんな上の友達と下の友達の板ばさみになるだろうし、と、階級が違う物同士の付き合いも簡単ではないから、結局、同じ宗教同士で友達が固まってしまうのと似て、同じ階級同士で友達が偏ってしまうという事も絶対にあると私は思うのです。だから人間関係複雑だと思います。
これは、ただの予測の話題ではなくて、傍から見ていてよく感じる事なのです。

そんな複雑なインドネシア人の階級社会の中で、日本人は、日本ではボロアパートに暮らし、広告ちらしをチェックしては10円20円を節約するような生活をしている人であっても、ステータスに関係無くインドネシア人社会に受け入れられます。日本人というブランドのお陰だという事は見え見えなのですが、稀に、インドネシア人の大金持ちの方などの家に訪ねるような機会でもあれば、こんなインチキいいのかな?と自分でも思ってしまいます。

昔の日記かブログに書いた事があるのですが、昔ジョグジャカルタからバリ島への帰路、飛行機に乗ってDPSへ向かっていた時に、すぐ傍の席に2人の初老のお婆さんと、2人の小さな孫、一人は3歳くらいでもう一人はまだ1歳になったかなっていないかくらいの子供に、中学生か小学校高学年くらいのお手伝いさんという組み合わせのインドネシア人のお客さんが乗っていました。
そのお手伝いさんも、まだまだお母さんに甘えていておかしく無いような年頃の子供でしたが、空の旅を楽しむどころではありません。二人の子供をあやしながら、機内ではせわしくしていました。そのお婆さんたちは、孫は可愛いのだけれど、とてもそのお手伝いさんが大変だろうから、一人孫を見てあげようという気持ちのかけらも無い様子で、お婆さん2人で会話を楽しみながら、機内食などつまんでいました。飛行機から下りると、今度は、そのまだ子供のお手伝いさんは、まだ赤ちゃんの子供をバティック布で首から吊るして胸元であやしながら、片手に3歳くらいの男の子の手を引いて、更に全ての荷物を肩に、残りの片手に3つくらい運ばされているのです。とても辛そうな様子に見えるのですが、そのお婆さんたちは、早く歩きなさいと厳しく当たっています。見ていて、早く歩くも何も、それ以上無理じゃん限界じゃんと思うのですが、情け容赦ありません。まるで昔見た、金物屋の荷車を引いているパトラッシュのようでした。

所変わってバリ島のある家には、1歳半の子供がいて、まあまあ裕福なその家には、その子供専用に、ベビーシッターさんがいました。ベビーシッターさんは年頃の娘さんで、年齢聞きませんでしたが、高校生~20歳前くらいです。まだまだ若いので、よく働くように見えるのですが、彼女を雇う家族にしてみれば、気に入らないことが細々あるようで、いつも彼女の重箱の隅をつつくような悪口を聞かされたものです。
バリ島の夜は早いので、子供も夜は早めに寝てしまいます。けれども、まだ若くて遊びたい盛りのベビーシッターさんは、夜子どもを寝かしつけると、家から徒歩3分とかからないところにある店に遊びに行くようです。そこには同じ年頃の女性が働いているので、仕事を終えてから、一息、憂さ晴らしに、ほんの少し友達に会いに行くのだと思いますが、それでさえ、その家の人は良い顔をしません。子供を置いて家を出るなんて、遊んでばかりでと~言うのです。日本人の私にしてみれば、いいじゃん、安い給料で24時間に近いくらいずっと子供の面倒を見ているのだから、2~3時間くらい、友達とおしゃべりくらいさせてあげればいいのになんて思いますよね。

そのくらいいいじゃない、もうすこし優しくしてあげてもいいじゃない。こんな様子を見ていて私は思いますが、しかし、それが本当に正しいことかどうかは、自分がインドネシアでその人を雇用してみないとわからないのです。その人の性格を見極めないとわからないのです。

私の友達に、そんなに厳しくしなくてもいいじゃないと言った事があります。しかし友達は、この人はちょっと甘やかすと、本当に仕事をしなくなるから、と言います。
日頃威張ったり、ウソを言ったり、意地悪を言ったり、そんな人ではないので、多分それは本当なのかもしれませんし、生まれた頃から、階級社会の上で育ち、下を使うという術を身に付けている人の振る舞いなのかもしれませんが…。
あの飛行機のすごく辛そうに見えた子も、あの場では可哀相に見えたけど、本当にいつもああやってイジメのように働かされているのかもしれないし、もしかしたら、最近何か悪い事でも本当にしでかして、もう許しませんと、厳しくされていた場面だったのかもしれないし、第三者には介入出来ない問題と思うようになりました。

同じく、インドネシア人同士の階級で起こる人間関係にも、あなたちょっとソンボン(高慢)なんじゃないのと介入する事も出来ないし、あなたそんなに遠慮しないでと強引に引き込む事も出来ないのです。
初対面のインドネシア人とインドネシア人を出会わせるという事は、日本人が思うほど簡単な問題では無いと少し勉強しました。
「同じインドネシア人なのだから」と、簡単にくくることが出来ません。せめて、同じ民族なのだから、同じ宗教なのだから、同じくらいのステータスなのだから、という分類が無いと、日本人には理解出来ないことが起こり得るのです。
本当に、インドネシア人って難しいです。

ビューティフル・デイズ デラックス版

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