チップ

やっとPCがなおって、ちょっとネットサーフィンをしてみました。
すると、チップの話題が盛り上がっていたようなので(笑)
更新が出来ていない代わりとしまして、チップの話題を書いてみたいと思います。

後藤は、チップを渡す派です。
インドネシアに入国して一番に、小銭を持っておかなければと、気にするレベルです。

ですから、チップにまつわるいろんな思い出もありますが、今回は2つほど。

後藤は大量の商品を買い込んで、一旦自分の泊まっている宿に保管しますので、運び出しの時には、大変な事になってしまいます。
ある時、いつになく多い荷物を客室から、車へ移しました。その時に、宿の人が運び出しを手伝ってくれたので、チップを渡しました。
財布の中には、小銭が無く、10万ルピア札と、1枚の5千ルピア札、最近あんまり見ない500ルピア札しか無かったのです。
運び出しをして下さった方に、必然的に5千ルピア札をチップとしてお渡しました。
けれども、後から財布を確認すると、1枚しかなかったはずの5千ルピア札が残っていて、珍しい500ルピア札が無いのです。どうやら後藤は、間違って、500ルピアをチップで渡してしまったようです。
すごく、恥ずかしくて後悔しました事は言うまでもありません。

今の後藤だったら、多分泊まらないと思う、バンガロー。
何故なら最低の宿泊料金が15万ルピアなのに、部屋も広く無いし、ホットシャワーが使えるくらいの利点しか無いので。
それでも、当時はちょっとおしゃれなバンガローとして一目置かれていた宿での事です。
ちょっとおしゃれと言っても、内容は、ロスメンと変わりません。

ある夜、頭痛で苦しんで、よく寝付けなかった日の事です。
薬を飲んで、あっちにこっちに寝返ってもよく眠れない夜中。
枕を外して、抱き枕のように抱え込んだとき、ベッドの周りにはルピア札が散乱しました。

どうやら枕銭として置かれていたルピアが長い間、そのままとなっていて枕の下に貯まっていたのでしょう。つまり…これだけのルピアが貯まる間、枕をどけたり、シーツを変えなかったという事です。当時としても、15万ルピアは、日本円で約2000円。
20ドル程度の4流ホテル並の宿ではありましたが…
翌日、宿のスタッフというよりも、下男みたいな雰囲気の従業員にその事を伝えたのは言うまでもありません。

以後、枕銭を置く場合、わざとベッドをグチャグチャにする習慣となってしまいました。

|

バリ・コピ

生まれて初めて、沈殿コーヒーを飲んだのは、残念ながらバリ島ではなく、
どこかの国からのお土産品をもらって、実家の台所で飲んだのが初体験です。

説明書通りにその沈殿コーヒーを入れてみたのですが、コーヒー党の私でも、美味しいとは思わず、お土産品の沈殿コーヒーはそのままゴミ袋行きとなったのでした。

次に私が沈殿コーヒーを飲む事になったのは、バリ島2回目の旅ではなかったかと思うのです。
最初の旅行は、殆ど食事がインクルーズされている旅で、ホテルやレストランで食事をしていたので、出て来るコーヒーはドリップばかりだったと記憶しています。

けれども2回目の旅行で飲んだバリコピも、多分、私は興味本位で飲んだだけで、美味しいとは思っていなかったはずです。

3回目からの旅行で、バリ島の人にできるだけ近づいて、真似をしてみたいと思うようになったので、宿のランクを下げて、よりマイナーな地域へ旅行する事となりました。
その目的の為に、おしゃれなレストランへ入る気持ちなどは更々無かったし、宿の朝食もポットに入ったバリコピだったし、雰囲気もあるのでしょうか?宿のベランダで飲むバリコピはとても美味しく感じるようになり、蝶のマークの入ったバリコピを日本に買って帰り試したものの、日本で飲むバリコピは美味しいとは思えず、またまたゴミ袋へ行く運命になるのでした。

そして後藤は、4回目からの旅については、もうあんまり詳しく覚えていないのです。
断片的な思い出があって、あれはいつだったかな? と思い起こすと、あれは何年の何月だったとやっと思い出せる感じです。

多分5回目くらいの旅にもなると、後藤は、バリ島で何もしないで過ごすようになり、コレという思い出が無いのですね。写真を写す事さえ、おっくうなくらい、バリでは怠け者に過ごしていました。
(最近になって、写真撮影は大切だと、焦るようになってきましたけれど)
バリコピは水を飲むのと同じように、当たり前に飲むようになり、かえって、出されたコーヒーが、ネスカフェ(インスタント)やドリップだと、ビックリするようになりました。

ドロドロしていたり、金色に光る混ざり物がザラザラしていて、口ざわりが良く無いと思っていたバリコピも、粉が沈殿するのを待つ事なく、ザラザラの粉をガチガチかみ締めながら飲んだりするようになりました。それが今の私です。

最近わかったことは、バリコピには砂糖を入れて飲んでいましたが、上質のバリコピはブラックでも美味しいということです。

何より、コーヒーは、自分で入れるのではなく、人に入れてもらうのが一番美味しいですね。

|

疑問の解明

後藤は今、些細な疑問の解明が簡単に出来るように、本で調べたり聞いたりしてそれを、ホームページ上で公開しようと思っています。
10個くらい項目が出来たら、リンクしようと思っています。

例えば、バリ島のあっちこっちで見かける、白黒のチェック模様は何か意味があるのか?
というように、それを知ったからといって、どうにかなるかといえば、何にもならない無駄な雑学ばかりになると思いますが。

難しい事は、これって何だろう? 何か意味があるのか? と素朴に思ったことを 私自身がもう忘れてしまって、思いつかないという事です。
その辺がなかなか、作業を難航させています。

そういう事を紐解くために、最近読書にもふけっている後藤でもありますが、
本を読んで、強く思ったことは、バリ島の歴史の展開が早過ぎるという事です。

歴史の展開が早いので、近年までは、本当はこうだった事が最近、こういう風になった、という説明をするしか無いという事です。

そりゃ日本の戦前、戦後だと、随分と文化も進化も早いものですが、第二次世界大戦をボーダーとして比べてみれば、インドネシアの展開の方が急激なのです。

わかりやすく説明すれば、そのボーダーで説明すると、戦前までのバリ島は、まだ、男性も女性も、上半身裸の生活が普通だったのです。インドネシアという国もありませんでした。経済というものも 中国の古銭で行われていて、貴族以外は貧しい生活が普通で、いわゆる贅沢な生活なんて夢のまた夢ような生活をしていたバリ人だったわけです。お金に執着する事も今程ではない時代が戦前ですね。

今や子供たちはTVゲームで遊び、大人たちは携帯電話のSMSに夢中になっているバリの人たちとの間の隔たりというものは大きく、かといって、その進化の早さのあまりに、モラルや制度が伴っていないのが今のバリ島。と、そこまで言うと言い過ぎなのかもしれないけれど、そういう面も強いと思える後藤なのです。

そりゃね、日本だってそういう面はありますからね、人様の国の事をとやかくは言える立場でもありませんが。

益々後藤が思ったことは、バリ島を相手にするという事は、できるだけの事を理解(周知)した上で、ちゃんとした自分の意見を持ってバリの人と接する事が大切だと思いました。

バリはああだから、バリはこうだから、と バリの流れに合わせるだけでは良く無いという事です。勿論、そういう事が大切な場合もあります。
けれども、その中、今のバリには、元々バリでは良く無いとされていた事も沢山あるわけです。
それを インドネシア式にうまく対処するとするなら、相手に恥をかかせないように、「こういう事は日本では恥ずかしい事だから、出来ません」 と 相手にわかってもらう事でしょう。
それが上手くなれば、バリの人よりも1枚も2枚も上手に振舞えるんじゃないかと思ったりします。

最もその、人に恥をかかせてはいけないという部分も、その昔は、それなりに人々のモラルがちゃんとしていたから成り立っていたと思います。
モラルもメチャメチャな上に、人前で恥をかく事は最大の屈辱なんて言っていたら、その道の進む先は一体どこなんだ?と 後藤は疑問に思ったりもしています。

相手に恥をかかせても良かったら
「あなたの口紅ちょうだい」なんて言われたら
「他人にモノをねだるのは 日本では恥ずかしい人か貧乏な人がする事です。」と
ストレートに言う事です。
バリ人の根底は、本当はそういう事は恥ずかしい事なのです。外国人との接触でズレてしまっているから、そういう事を普通に言えるのです。元々のバリの人は、昔の日本人のような礼儀をわきまえていたようです。
だから、根底には、人にねだるという事が恥ずかしいという気持ちは少しでもあるはずなのです。
「外国人は別」という感覚を持ってしまっているから、こういう事を普通に言うバリ人がいるわけです。でも、「そうじゃない」という事を私は知ってもらいたいです。
難しいのは、いかにその説明というか、相手のココロに届くように、インドネシア流に相手に恥をかかせないように、それを伝えられるかという問題です。

|

自分のルーツ

最近、特にバリに関する専門書や歴史、宗教についての本を読み漁っている後藤ですが、

ちょっとバリ島が好きな方は、バリではこんな伝統があって、こんなこんな行事がこういう風に執り行われる、なんて わかってる方多いですよね。

そういう知識を持つ事によって、よりバリ島やバリの人々を理解する事ができるようになると思います。

けれども、皆様、人様のお国の地域の事は置いておいて、自分の国の歴史や文化、宗教について、感心を持った事があるでしょうか?
自分が誕生した時に、両親に連れて行かれたであろう、お宮参り、七五三などの儀礼は、多くの人が経験していると思います。
しかし、祖父母や親戚が亡くなった時の儀礼は、神社ではなくお寺のお坊さんが行う事が多いです。そしてお墓などは、お寺の墓地に置かれることが殆どです。この事に疑問を持っている方などいらっしゃるでしょうか?

神社というものは、仏教とは異なります。天照大神を最上に祭っている、インドネシア語で言えば、アガマ・アスリというものです。日本語で言えば、神道(しんどう)です。
首相の靖国参拝問題など、マスコミで取り沙汰されていますが、あの神社も神道の神社です。
寺というものは、色々な宗派がありますが、中国から伝わったブッダが起源の宗教です。

誰もが、何かの宗教に属している事が当たり前のインドネシアという国で、「あなたの宗教は何ですか?」と 質問されて困ったことはありませんか?
自分は宗教を信仰しているつもりはなくても、お七日夜、宮参り、七五三と、神道の通過儀礼をした日本人が殆どでしょうし、かといって、殆どの日本人が仏教の葬儀や法事を当たり前と思っているわけです。かといって、自分達は、どこかの宗教に属しているという感覚が無い日本人が殆どではないでしょうか?
にもかかわらず、何かあれば、受験の時などに、神頼み(神道の神様へ)するのも、日本人です。

何故、日本人はこんな複雑な宗教観を持っているのか、考えた事があるでしょうか?
後藤は、最近、よそ様の国の事を調べたりするようになってから、徐々に強い疑問を持つようになりましたが、まだ、その問題の解明はしていません。
けれども、疑問すら持たない日本人の方が多いのではないかと思います。

バリが好きで、バリ舞踊やワヤンクリットのラーマヤナ劇のあらすじを、だいたい覚えた方もいらっしゃる事でしょう?
では、自分の国の神話については、どれだけ知っていますか?
天照大神って何者ですか? 男ですか? 女ですか? どういう神様でしょうか?
その神話と、今話題の天皇家、皇族ってどういう関係なのでしょう?
残念ながら、それが説明出来る日本人は多く無いと思います。

それは、かつての日本の教育が おかしかったからではないかと思うのですが…

神話は神話の世界という事で置いておいても、大昔の人々の言い伝えや、物語から、その国の歴史が始まるのが殆どです。
そういう神話や、昔話は、真実かどうかはわかりません。それを言っていては、ラーマヤナのお話なんて、ロールプレイング・ゲームの世界で、全く現実味のあるようはお話ではありませんが、それでも信仰している多くの人々がいるわけです。
そんな話をきちんと神話(昔話)だと説明した上で授業とする事に何の問題があるというのでしょうか?
歴史と宗教は、切り離せない問題ですが、事が宗教的な事に少しでも結びつくと、それは法律を犯すとか、教育上良く無いとしてきた、近年の日本の教育が、日本の歴史や文化に対する無関心さを作り上げてしまった事ではないかと、後藤は思っています。

極端なんですよね。歴史として、昔話として、日本にはこういう話があった、だから、こういう文化が日本にあり、神社があって、仏教寺があって、今の私たちが、生まれた時に、どうして、神社で儀礼を受け、死ぬ時には、仏教寺にお世話になるのか?
その事実を教育として教える事も、宗教に触れる事なので、はばかれる。だから、どんな日本人も、自分達で漠然と、常識と思ってやっている事の意味がわかっていない。

算数のドリルを授業中に何度か生徒に自習させる時間があれば、そういう事について1時間でも2時間でも、教えてくれる方が、日本人としての常識を教えてくれる方が、良いと私は感じるのですが、それよりも、1分一刻を争ってでも、受験の為の時間を割く方が大切なのかもしれません…
おかげで、大人になって、後藤がそのことについて調べようと思ったら、何冊もの難しい専門書を読んで理解しなければならない羽目になるのです。

まだまだ、本を読んでいるだけの段階の後藤ですが、1つだけ確信した事は、神道も、仏教も、バリ島のヒンドゥー教も、共通している事は、祖先の霊を大切にしているという事です。
そして、日常生活において先祖や神に供え物を捧げるという共通の行事もあります。
TVでは、また、細木数子があんな事言ってるよって感じの時がありますけれど、頭ごなしに拒絶しないで、冷静に聞いていたら、バリ島のバリアンや、マンクーなどのお説法と、あんまり変わらない事を言っていると思うのです。

もう少し、自分という、一日本人のルーツを ちゃんと理解して行ったら、その視線の角度から見るバリという地域は、きっとまた違って見えるのではないかと思えるこの頃です。
太古の昔からの、もうDNAにまで刷り込まれている部分に、共感し合えるものがあるはずなのです。

バリアンと細木数子の共通の説法から言えば、
「自分の祖先をさしおいて、よそ様の祖先などに興味を持つ事は、自分のご祖先様に対して失礼な事」
なのです。何か障害や問題が起こったときには、その部分を見直さなければ、問題は解決しないというのが共通の説法のようです…
そこまで話が及ぶと、信仰の世界に足を踏み入れる事になりますので、その辺は皆様の考えで解釈して下さい。
けれども、これも1つの啓蒙ではないでしょうか? 多くの日本人がバリ島で暮らすようになり、いろんな問題が起こっています。
自分の先祖を敬えないで、どうしてこれから未知のバリの神様や祖先に供え物を捧げる日々を継続出来るのでしょうか…というような感じかもしれません。

バリでは、神様、先祖、悪霊に、毎日供え物をして祈る生活を普通にしていたバリの人が日本人と結婚したとして、日本での法事や墓参りに行く感覚と、無宗教状態の私たち日本人が、あまり考えも無く冠婚葬祭へ出向く事とは随分気持ち的にも違うんじゃないか、そう思ってしまいます。

私は、自分の宗教を信仰しなさい、先祖を敬いなさいと言いたいわけではなく、無宗教状態の上に、せっかく沢山の共通点がある日本の文化や宗教観の常識を勉強していなかったり軽視している日本人と、宗教に重きを置いて生活をしている人(この場合ではバリ人)との隔たりを言いたいだけなのです。信仰するしないは別の話なのです。
少なくとも、日本人というものは、宗教を信仰しないとしても、死ぬ時は(殆どの場合)お寺にお世話になるという事は事実です。
特別な宗教の事情があるわけでもないのに、子供の七五三のお宮参りもしない両親は非常識だと言われます。何が非常識なのか説明も出来ないのに。

日本人は、無宗教感覚であるという文化は仕方が無いわけですが、闇雲に、バリの文化や宗教観は面白いなと思う前に、まず、自分自身について、宗教というものを信仰しているいないは別として、ちゃんと説明出来る日本人にならないといけない、後藤は今、そう思っています。

|

インドネシア人の集団行動

いろいろな要因があると思うのですが、インドネシア人ってあんまり単独行動しませんよね。

日本のごく普通の休日、さて電車にのって、どこどこへ何を買いに行こうと思い立って、一人で電車に乗って、街へ出てウインドショッピングなんて当たり前の事ですが、

ごく普通のインドネシア人は、自分の生活圏外へ一人で買い物に出かけたりする人は少ないと思います。多分、誰かを誘うなどして、あまり一人で行こうとはしません。誰も一緒に行ってくれる人がいないのなら、行くのを諦めるという事もあるのではないかと思います。

一旦、自分の生活圏外へ出てしまうと、周囲は知らない人ばかりになるので、どういう問題が起こるかわからないという治安的な問題と、一人での行動は寂しいという問題の2つがあると思います。

生活圏内であっても、例えばバリ島の場合、夜になると、狭いスペースに、友達同士、同じ職場同士のの男性が、ひしめき合って、子猫の兄弟のようにぐちゃぐちゃになって寝ている事があります。日本では、日常的にはあり得ない事ですが、これも身を守る手段の一つなのかもしれません。
これも、昔のメルマに書いた記憶があるのですが、バリ人の男性が職場の話をしていて、
「ボクは、あいつと一緒に寝るけど、信用はしていない」と言うのです。あいつ、というのは職場の同僚なのですが、聞いていて何だかドキドキしてしまう言葉ですよね。まるで、同性愛者のお話のようで…

町中を友人と歩く時、男性同士、女性同士、手をつないで歩く事も珍しくありません。
突然、バリ人の友達から、手をつながれてビックリした事なんてありませんか?

そして、バリ人のグループって、大抵男女に分かれていますよね。

日頃、自分の事は自分でする習慣を身に付けている日本人とは、少し異なる、インドネシア人の集団生活なのですが、
日本人の場合は、小さな頃から、家事で忙しいお母さんの手をかけないように、一人で大人しく遊ぶ子供がおりこうさんで、自分で服を着て、自分で片付けをして、外に出ても人様に迷惑をかけないように生きてきたわけです。
インドネシアの場合は、集団で生活して、助け合いという方法を取って生活をしています。
が、多分都市部へ行けば、もう少し個人主義的な生活も既に普通になっているのではないかと思うのですが。

日本人にも色んな人間がいますので、この例も極端ですが、仲良しの友達が家に遊びに来た時に、どうぞ好きに過ごしてねと、食べ物も好き勝手にどうぞ、ゲームも自分でセットして遊んでね。ビデオ見たかったら好きなの見てね、遊びに行った先で、友達同士、別々に好きな事をして過ごすという感覚、雰囲気は日本人には理解出来ても、多分インドネシア人には理解出来ません。もしかしたら、インドネシア人でなくても、他の国の人も理解出来ないかもしれません。アメリカとかならまだ、ありそうな感じですが…
日本人の友達の感覚で、インドネシア人の友達とそういう風に自宅で接したら、多分インドネシア人の友達は、自分は招かれざる客だと思って、すぐに帰ってしまうかもしれません。

それから、インドネシア人の集団行動の集団は、身近なもので 家族、友達、地区、民族のようにいろいろな集団に属すみたいな感じで行われていると思います。
特にバリ島では、宗教行事には人手が必要なので、家族、親族、地区の集団をそれなりに重んじなければ、他人の葬式は面倒だからといって自分が手伝わなければ、自分達の時に、手伝ってもらえないかもしれない(事は無いのかもしれませんが)という気持ちもあり、お互い常に協力し合っています。

また、何か問題が起こった時に、日本では市役所、警察、各関係機関に相談に行くわけですが、インドネシアではそういう場で問題を解決出来る事の方が少ないので、身内から探して相談を持ちかける事になります。身内、友達、近所づきあいという順序でしょうか?
ですから、友人関係や親戚関係なども、あまり疎かに出来ません。
私が見ている限り、本当にバリ島では「何かあったら」頼りになるのは、本当に身近な人たちだけなのです。だから、集団行動の中に入り込んで生活しているのかなと私は思います。また、その外に出てしまうと、逆に、バリ島では生きて行けないのかもしれないと思います。

バリ島へ一人で旅すると、とても歓迎されているような気分になってしまうのですが、それはそれで素直に受け止めるとしても、歓迎というよりも、女性がたった一人で泊まっているなんて気の毒だとか、非常識だとか、ごく普通のバリ人は私をそういう風に見ているのかもしれません。

私たちから見れば、いつも単独で行動しているインドネシア人がいたとしても、普通に見えますが、同じインドネシア人同士から見たら、変わり者と思われているかもしれません。

BALI dua

| | トラックバック (0)

飲食とインドネシア人

大きなホテルに滞在すると、あまり経験しないかもしれませんが、ロスメンに滞在したり、インドネシア人の知人の家に行ったりした時に偶然、食べている人とであったりとか、または、ワルン(食堂)に食事へ行き、食事が運ばれてくるのを座って待っている時に、隣近所の人よりも先に自分の食事が運ばれてきた時など、
つまり、既に、先に食べている人に出会ったときに、

先に食べます(makan dulu) と言われたり、
あなたも如何ですか? (mau makan ?) と言われた経験が無いでしょうか?

後藤には沢山そういう事があります。
例え、お昼ご飯に、インドミー(インスタント袋ラーメン)を食べている人に偶然出会い、あなたも食べますか?と言われても、余程仲良しの友達でなければ、甘えて はい なんて返事もしないと思うのですが、(もしも、はい なんて答えようものなら、おわんを持ってきて、自分の食べかけているラーメンから移してくれそうな感じです)多分礼儀として、インドネシアの人たちは、自分たちが食べている場面で人に出会うと、こういう受け答えをすると思うのです。
また、丁度食べている時でなくても、さあ、これから食べようという時になれば特に、あなたも食べますか? と言われます。そういう時のやり取りは日本と同じだと思うのです。
いえもう、すぐに帰りますから とか もう食べましたから とか 余程仲良しの友達でも近い親戚でも無い限りは、遠慮しますよね。先方も、「まあそう言わずに」と、もう1回くらい、すすめて来ます。このくらいのやり取りで一応お互いの礼儀作法のやり取りが終わるのですが、日本人の感覚ならわかりやすいと思います。

ついここは外国だからと思い、甘えてしまうと ヒンシュクを買う場合もあるので、それは、その時の様子をちゃんと理解したうえで甘えるのが良いと思います。
一緒に食事をする方が、先方も気楽に思うだろうとか、喜んでくれるとい場合や、お祭りなどで大量に食べ物があって、賑わっている時なので、場の雰囲気を下げない為にも加わってみようとか、そういうのは良いと思います。
でも、インドネシアには、日本の社交辞令と同じで、そういうつもりは無くても言うだけ言っておくのが礼儀という場合もあります。だから、判断は必要です。多分欧米人よりも日本人の方が、そういう雰囲気は読めるのではないかと思ったりします。

勿論ごく稀に、まさか本当に、食べる、飲むとは思ってもいなかったような人から、頂きますと言われて、奥に行って、周囲の人にしかめっ面で合図しながら、飲み物や食べものの準備をするという場面も幾度と無く客観的に見ています。
でも多分それは、食べ物に対してケチな気持ちがあるわけではなく、単純に「厚かましい客だ」と思っているだけだと思います。
自分が厚かましい客なのか、飲み物や食べ物を振舞ってもらって歓迎されるべき客なのかは自分で判断するしかありません。

特にバリ島では、食べ物に関しては寛容です。だから、本当に、是非我が家に来て食事をして帰って下さい。という場合も沢山あると思うのですが、やっぱり社交辞令の時もあるので、その人との関係などを考えながら、よく判断してお返事するのが良いと思います。

食べ物に関して非常に寛容なインドネシア人は、自分に近い人には、もういらないと返事をしたとしても、そう言わずに、持って行きなさい、食べなさい、飲みなさい、というくらい面倒を見てくれる場合があります。そういう時には、不要でも甘えてあげる方が、先方も喜んでくれるはずです。

また、客人が来た時に、最低でもお茶の1杯くらい出さないと自分が恥かしいという気持ちのインドネシア人も沢山います。
特にバリでは、本当に財布の中に3000ルピアくらいしか入っていないとしても、客人が来たときに何も無ければ、それだけの持ち合わせの中から近所のワルンで、テーボトル(瓶入り甘い紅茶)の1本くらい買ってきてくれたりする場合もよくあります。
それは、インドネシア人の礼儀(ソパン)なのだろうと思います。
そういう風に招かれると、とても嬉しくなって来ますが、長居し過ぎて、食事時になれば、とりあえず社交辞令で、食事を食べますか? と言われる事でしょう。

インドネシア―暮らしをたずねて島から島へ

| | トラックバック (0)