最近、特にバリに関する専門書や歴史、宗教についての本を読み漁っている後藤ですが、
ちょっとバリ島が好きな方は、バリではこんな伝統があって、こんなこんな行事がこういう風に執り行われる、なんて わかってる方多いですよね。
そういう知識を持つ事によって、よりバリ島やバリの人々を理解する事ができるようになると思います。
けれども、皆様、人様のお国の地域の事は置いておいて、自分の国の歴史や文化、宗教について、感心を持った事があるでしょうか?
自分が誕生した時に、両親に連れて行かれたであろう、お宮参り、七五三などの儀礼は、多くの人が経験していると思います。
しかし、祖父母や親戚が亡くなった時の儀礼は、神社ではなくお寺のお坊さんが行う事が多いです。そしてお墓などは、お寺の墓地に置かれることが殆どです。この事に疑問を持っている方などいらっしゃるでしょうか?
神社というものは、仏教とは異なります。天照大神を最上に祭っている、インドネシア語で言えば、アガマ・アスリというものです。日本語で言えば、神道(しんどう)です。
首相の靖国参拝問題など、マスコミで取り沙汰されていますが、あの神社も神道の神社です。
寺というものは、色々な宗派がありますが、中国から伝わったブッダが起源の宗教です。
誰もが、何かの宗教に属している事が当たり前のインドネシアという国で、「あなたの宗教は何ですか?」と 質問されて困ったことはありませんか?
自分は宗教を信仰しているつもりはなくても、お七日夜、宮参り、七五三と、神道の通過儀礼をした日本人が殆どでしょうし、かといって、殆どの日本人が仏教の葬儀や法事を当たり前と思っているわけです。かといって、自分達は、どこかの宗教に属しているという感覚が無い日本人が殆どではないでしょうか?
にもかかわらず、何かあれば、受験の時などに、神頼み(神道の神様へ)するのも、日本人です。
何故、日本人はこんな複雑な宗教観を持っているのか、考えた事があるでしょうか?
後藤は、最近、よそ様の国の事を調べたりするようになってから、徐々に強い疑問を持つようになりましたが、まだ、その問題の解明はしていません。
けれども、疑問すら持たない日本人の方が多いのではないかと思います。
バリが好きで、バリ舞踊やワヤンクリットのラーマヤナ劇のあらすじを、だいたい覚えた方もいらっしゃる事でしょう?
では、自分の国の神話については、どれだけ知っていますか?
天照大神って何者ですか? 男ですか? 女ですか? どういう神様でしょうか?
その神話と、今話題の天皇家、皇族ってどういう関係なのでしょう?
残念ながら、それが説明出来る日本人は多く無いと思います。
それは、かつての日本の教育が おかしかったからではないかと思うのですが…
神話は神話の世界という事で置いておいても、大昔の人々の言い伝えや、物語から、その国の歴史が始まるのが殆どです。
そういう神話や、昔話は、真実かどうかはわかりません。それを言っていては、ラーマヤナのお話なんて、ロールプレイング・ゲームの世界で、全く現実味のあるようはお話ではありませんが、それでも信仰している多くの人々がいるわけです。
そんな話をきちんと神話(昔話)だと説明した上で授業とする事に何の問題があるというのでしょうか?
歴史と宗教は、切り離せない問題ですが、事が宗教的な事に少しでも結びつくと、それは法律を犯すとか、教育上良く無いとしてきた、近年の日本の教育が、日本の歴史や文化に対する無関心さを作り上げてしまった事ではないかと、後藤は思っています。
極端なんですよね。歴史として、昔話として、日本にはこういう話があった、だから、こういう文化が日本にあり、神社があって、仏教寺があって、今の私たちが、生まれた時に、どうして、神社で儀礼を受け、死ぬ時には、仏教寺にお世話になるのか?
その事実を教育として教える事も、宗教に触れる事なので、はばかれる。だから、どんな日本人も、自分達で漠然と、常識と思ってやっている事の意味がわかっていない。
算数のドリルを授業中に何度か生徒に自習させる時間があれば、そういう事について1時間でも2時間でも、教えてくれる方が、日本人としての常識を教えてくれる方が、良いと私は感じるのですが、それよりも、1分一刻を争ってでも、受験の為の時間を割く方が大切なのかもしれません…
おかげで、大人になって、後藤がそのことについて調べようと思ったら、何冊もの難しい専門書を読んで理解しなければならない羽目になるのです。
まだまだ、本を読んでいるだけの段階の後藤ですが、1つだけ確信した事は、神道も、仏教も、バリ島のヒンドゥー教も、共通している事は、祖先の霊を大切にしているという事です。
そして、日常生活において先祖や神に供え物を捧げるという共通の行事もあります。
TVでは、また、細木数子があんな事言ってるよって感じの時がありますけれど、頭ごなしに拒絶しないで、冷静に聞いていたら、バリ島のバリアンや、マンクーなどのお説法と、あんまり変わらない事を言っていると思うのです。
もう少し、自分という、一日本人のルーツを ちゃんと理解して行ったら、その視線の角度から見るバリという地域は、きっとまた違って見えるのではないかと思えるこの頃です。
太古の昔からの、もうDNAにまで刷り込まれている部分に、共感し合えるものがあるはずなのです。
バリアンと細木数子の共通の説法から言えば、
「自分の祖先をさしおいて、よそ様の祖先などに興味を持つ事は、自分のご祖先様に対して失礼な事」
なのです。何か障害や問題が起こったときには、その部分を見直さなければ、問題は解決しないというのが共通の説法のようです…
そこまで話が及ぶと、信仰の世界に足を踏み入れる事になりますので、その辺は皆様の考えで解釈して下さい。
けれども、これも1つの啓蒙ではないでしょうか? 多くの日本人がバリ島で暮らすようになり、いろんな問題が起こっています。
自分の先祖を敬えないで、どうしてこれから未知のバリの神様や祖先に供え物を捧げる日々を継続出来るのでしょうか…というような感じかもしれません。
バリでは、神様、先祖、悪霊に、毎日供え物をして祈る生活を普通にしていたバリの人が日本人と結婚したとして、日本での法事や墓参りに行く感覚と、無宗教状態の私たち日本人が、あまり考えも無く冠婚葬祭へ出向く事とは随分気持ち的にも違うんじゃないか、そう思ってしまいます。
私は、自分の宗教を信仰しなさい、先祖を敬いなさいと言いたいわけではなく、無宗教状態の上に、せっかく沢山の共通点がある日本の文化や宗教観の常識を勉強していなかったり軽視している日本人と、宗教に重きを置いて生活をしている人(この場合ではバリ人)との隔たりを言いたいだけなのです。信仰するしないは別の話なのです。
少なくとも、日本人というものは、宗教を信仰しないとしても、死ぬ時は(殆どの場合)お寺にお世話になるという事は事実です。
特別な宗教の事情があるわけでもないのに、子供の七五三のお宮参りもしない両親は非常識だと言われます。何が非常識なのか説明も出来ないのに。
日本人は、無宗教感覚であるという文化は仕方が無いわけですが、闇雲に、バリの文化や宗教観は面白いなと思う前に、まず、自分自身について、宗教というものを信仰しているいないは別として、ちゃんと説明出来る日本人にならないといけない、後藤は今、そう思っています。