平和を考える頃

15日が近づくと、日本のTVも原爆や戦争の番組が増えてきます。

毎年、日本人が平和について考えさせられる時期がやってきました。

友人であるインドネシア人の友達が、バリ島で2回も爆弾テロが起こった時の感想を私にこう言いました。

「自分の宗教が一番という思想が一番良くない」

世の中で起こっている紛争の原因は宗教だけではありませんが、私の友人の言っている事は的を射ていると思います。
人間は一人では生きて行けないし、これだけの人間が地球上に生きて行く為には、誰かがその人間をまとめて行かなければなりません。
考え方の違いや、文化の違い、自分たちを有利にしたいという、いろいろな思惑が渦巻いて、結局戦争というものが起こっているわけではないかと思います。

人が一人で生きて行けない以上、大切な事は協調するという事だと思います。
人間の個性や思想は大切ですが、集団の中で、争ったり人に迷惑をかけたりしないようにお互い考えながら生きて行く事は大切な事だと思います。

「自分の宗教が一番」

この考え方は、平和を崩す第一歩だと思えます。
勿論、自分が大切にしている思想や神様はあるかもしれません。
けれども、他の人にも、同じように自分が大切にしている思想や神様があるわけです。
異宗教の人間同士が「自分の宗教が一番」と、言い合っていたら必ず争いになります。
また、そういう純粋な人間の心を利用する、もっと悪い輩が出てきます。

インドネシアという国では、かならず国民が1つの宗教を信仰する事になっている国です。
90%くらいは、イスラム教で、残りは、仏教、ヒンドゥー、キリスト教という感じでしょうか?
圧倒的に、イスラム教徒の多い国なので、違う宗教の人間も、異宗教であっても、生活にイスラムの風習などの影響を受けずには生きて行く事が出来ません。
豚が不浄というイスラム教徒の人が、隣人のヒンドゥー教徒に、豚肉は汚いから食べないでもらいたいなどと、習慣の違いのような事で争っていては、平和になるわけもありません。
動物が好きな私も、可愛い子犬や数々の動物をムチャル(生贄)として神様に捧げるバリ人に、そんな事は間違っている! なんて抗議すれば、たちまちバリの人たちから、私は歓迎されない人間になってしまう事でしょう。

幸い、私たち日本人は、宗教に対して寛容に生活しています。
クリスマスも祝えば、寺で仏事を行い、神社や教会で結婚式をして、バリ島では、ヒンドゥーのお祭りに行って、聖水まで受けてしまいます。
世の中、みんな、宗教に対して、これくらい寛容だったら、もう少し戦争は減っていたと思えます。

とりとめのない文になってしまいましたが、店主も世界の平和を心から祈ります。

| | コメント (0)

ジョグジャ店主のまわりの話題

またまた、ジョグジャの地震の話題に戻ります。

店主と親しくしているインドネシア人の実家はジョグジャ近郊ではないのですが、ジョグジャから車で2時間くらい離れた距離なのです。
だから多分100キロくらいは離れているのではないかと思うのですが、ジョグジャの地震の一報を聞いてすぐに、私はそのインドネシア人の友達(日本在住)にメールしました。

友達は早朝にも関わらず、バイトに出ていたようで、情報を知らず、私からのメールを見てビックリしていました。それで、多分大丈夫だろうけれども、インドネシアの家族に連絡をしたいと言っていました。
なかなか電話は通じなかったそうですが、妹の携帯に連絡してみると、当日の早朝その時間、お母さんは外で掃き掃除をしていて、妹はまだ寝ていたそうです。けれども、震源地から100キロ以上は離れている、友達の実家もかなり揺れたらしく、外で掃き掃除をしていたお母さんは慌てふためいて、寝ていた妹は、ベッドが波打ちビックリして飛び起きたそうです。物こそ壊れたりはしなかったそうですが、かなり揺れたそうです。
大丈夫と思ってはいても、声を聞くまでは心配でしょうし、連絡が取れてよかったです。

その友達はジョグジャからの留学生と日本でルームシェアをしています。だから、その子の家族は大丈夫かな~と思ったのだけど、幸いご両親は他の島に行っていたらしく無事だったのですが、ジョグジャの家が壊れたらしく、留守番をしているお婆ちゃんが心配で、インドネシアからお父さんが泣き声で電話をして来たそうです…
アチェの時も、こちらに住む留学生の家族などが亡くなったという話は聞いていましたが、ジョグジャからの留学生はアチェからの留学生に比べると人数が多いので、後々またチャリティーなどあると思います。
こちらでは6月13日くらいから、大学でインドネシアウィークという催しがあるので、多分その時に、何かアクションがあると思います。

イマジネールでも、非力ではありますが、何かチャリティーには参加したいと思っています。

昨日は、その友達に会う機会があったので、地震の話題が多くなりました。
それで、廣田緑さんのブログの内容を聞かせてあげると、私はその時車の運転をしていたのだけど、ちらりと助手席の友達を見ると友達は泣いていました。

困っていても、周囲の人を思いやる気持ちの余裕があるインドネシア人の優しさと、地震の気の毒さで泣いてしまったのだと思います。

アチェの時も沢山の被害がありましたが、アチェの人に比べるとジャワ人は、性格が心底明るい人が多いらしいし、下町の人情ある人々のことだから、きっとお互い、助け合って早く復興するのではないかと願っています。

インドネシアの寅さん―熱帯の民俗誌

| | トラックバック (0)

友人としてインドネシアへ想う

私は、インドネシアという国を、人間で例えるなら、親戚とか家族くらい近い存在と思っています。
だから、何かインドネシアで問題が起こる度に、とても大きなショックを受けると同時に、がんばれ、がんばれという気持ちになるのです。

インドネシアで起こった問題は、乗り越えてもらいたい。そしてできるだけ多くの人々が幸せに暮らせる国になってもらいたいと願う気持ちがあります。
だからこそ、問題はちゃんと乗り越えないといけないと思うし、問題をちゃんと乗り越えずに、時間の経過でやりすごしてしまう事があるなら、それはとても遺憾に思うのです。

私が前日のブログに書いたように、インドネシアでは防災とか避難訓練とか、教育に盛り込んでいってもらいたいのです。
インドネシアの学校では、宗教の授業があります。神様を教えを学ぶ事も人生を生き抜く事には大切なことなのかもしれませんが、それだけでは、大きな地震や火災が起こった時に、自分や周囲の人々を守ることなど出来ないのです。

日本人になら、誰にでも小学生から中学にかけては、面倒な防災訓練が年に1度あって、かったるいと思いながら、全校生徒で校庭に避難した経験が誰しもあると思います。
その、かったるいことであっても、毎年例え1年に1回の、1時間くらいの時間を費やしているだけでも、いざという時に大いに役立ったり、できるだけパニックにならないようにやり過ごしたり何らかの役に立っているはずなのです。

私はあるインドネシア人に、インドネシアの学校ではそんな教育をする余裕が無いと言わて少しショックでした…

もう2回も、阪神淡路大震災に匹敵するような天変地異を経験しているのだから、何らかの対策とか考えとかもつべきだと思うのです。余裕があるとか無いとかの問題では無いと私は思うのです。
例えば、仮に自分の暮らす町で、大きな地震が起こった場合、もしも津波が来るとするなら、どのような影響があるのか、という仮定くらいは立てることができるはずです。
この町には、津波は到達しない、この町に津波が来るなら、この辺りまでが危ないから、ここら辺まで逃げれば大丈夫という事を知っておくだけでも、今回のジョグジャのように、デマでのパニックも起こらずに済んだと思います。
貧しくて耐震強度のあるような家など持て無いのだというなら、その中で何か工夫をすることだって全く不可能では無いと思うし。
一番私が嫌いなのは、問題を解決しないで、時間の経過にまかせることなのです。

私に救急救命を教えてくれた 鬼教官は、関西で一番厳しいという人でした。
講義の時に、あまりにも、私たちがワラワラしていて情けなかったのか、自分の昔話を語り始めました。
自分の子供が自分の目の前で、交通事故で亡くなったそうです。お父さん助けてと言われて、何も出来なかった。自分は我が子を見殺しにしてしまったという罪悪感。それが無念で無念で、応急処置の方法を学び、救急救命士の国家資格を取って今に至っているという話。

何千人も何万人も被災しているインドネシアで、このお父さんと同じような思いを持つインドネシア人はいないのでしょうか?

余裕が無いとか、そんな事やったって、大地震が来れば、死者は出るとか、ネガティブに言われると本当に悲しく感じます。
例え1万人の死者のうちの、100人でも10人でも、知識で人が救えるなら、それも大切なことだと思うのですが。

大切な友人の国に願うことは、幸せな国になってもらいたい。
その為に必要なことは、もっと多くの国民がちゃんと自立すること。
そのために大切なことは、問題をちゃんと解決していくことではないかと思うのです。

あちこちに乞食がいます。かれらに100ルピアでも1000ルピアでも小銭を渡すことは本当に簡単なことなのです。
でも、乞食は、そのお金を使い果たしたら、また乞食をします。乞食は一体いつまで乞食でいるのでしょうか?
人々は何も問題を解決しないで、可哀相だからと、ただ与えるだけ。
この循環では、絶対に貧困は解決しない。
そういう根本的な意識から、インドネシアは変わってもらいたいのです。

まだまだ多くの被害が拡大している、ジョグジャの方々には、心からお見舞いを申し上げます。
また、亡くなられた方々には、ご冥福をお祈りします。
無事だった方々には、どうか、今後、今にもまして力強く生き抜いて行ってもらいたいです。

| | トラックバック (0)

ジョグジャカルタの地震

わたくしは、年に3回ほどは、ジョグジャカルタに出向いています。
ですので、今回の地震の情報を知った時(27日午前9時頃)は、非常にビックリしました。
下町のような、あのようなステキな情緒が、地震によって崩壊してしまったと思うだけでも切ないですし、朝のニュースで既に死者の報告がありましたので、悲しく感じました。

私が一番仲良くしているインドネシア人女性(日本在住)の自宅もジョグジャ近郊ですし、彼女と日本のアパートをシェアしている子もジョグジャの子なので、さぞ不安ではないかと察しています。

被害が拡大したのは、耐震性の無い質素な家々や老朽化が進んだ建物たちのせいではないかと私はすぐに思いました。

地震の多い日本人の場合は、地震の時は、まず火を消そうとか、窓を開けようとか、逃げる時は、履物をはこうとか、子供の頃の避難訓練とか、TV番組とかで、何かしら教訓を受け、ちょっと地震があれば、テレビをつけようという習慣さえありますが、インドネシアでは、最近はアチェの津波被害も冷め遣らない頃ですが、まだ人々には、火災や地震の時心がけなど頭に無い人が殆どだと思います。こういうのはやっぱり、教育の差だと思います。

最近の日本ではマンションの耐震強度問題なんてありましたけど、インドネシアの建物を建てている所を見たら、姉歯さんも呆れるくらいの作り方をしていると思います。
消防法に基づいた建築なんてのも多分無いと思います。学校や病院など、公共施設の階段の狭さを見ていたらよくわかります。地震や火災が発生した時に、この狭い階段を使って逃げる人々を想像すると、ゾッとします。

インドネシアの人々も、本当にもう、これで懲りたと思うのです。
今後の生活の中には、何らかの災害に対する危機感を持ったり、日本以上に、自治会制度などがしっかりしているのですから、そういう伝達網を大いに利用して、今後は、万が一の災害対策なんてのも考えて生活していってもらいたいものです。

ジョグジャカルタのマリオボロ通りがどれくらい壊れてしまったのか、想像も出来ません。
あの垢抜けていない町並みが好きでしたが、新しくなってしまうと少し悲しいです。
でも仕方がありませんよね。

亡くなられた方々のご冥福を祈ります。
亡くなられた方々の死を無駄にしない為にも、インドネシアでは、今度災害について、政府でも、自治会でも、各家庭でも、もっと感心を持って、いろいろな取り組みをしてもらいたいと思います。

| | トラックバック (0)